私たちが何の変哲もなく当たり前のように慣れ親しんでいる星座や星占いですが、アナタは疑問に感じたことはありませんか?この星座や星占いが、いつ頃から生まれたのかです。

いろいろ諸説ありますが、まず最初に古代時代からひも解いていきましょう。一番古いとされているのが古代エジプト時代のもので、デカンと呼ばれているものが発見されています。

数々の星を人間などの形に置き換えて現したものがデカンですが、今もなおデカンの読み取り研究は続けられています。まだこの時代には、星座の原型すら出来ていませんでした。

では星座の原型はいつ頃できたのでしょうか、ここでメソポタミア時代が出てきます。この時代に、星星を線で繋ぎ星座の原型を作ったようです。ここでもまだ、現在の星座までには発展していません。

現在の星座早見表ができるまでは、かなりの時間が費やされたようです。そう考えると星座の歴史とロマンがヒシヒシと感じられます。

さてもう一度メソポタミア時代に戻ります、このメソポタミア時代ですが、現在西洋占星術で使われている黄道十二星座が存在しており、星座占いなどが行われていたとされています。

おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、うお座、です。

この黄道十二星座は、この時代の羊飼いが考えたものとされています。しかしこの羊飼い説も諸説あり、一概には断言できないようです。過去の資料を探すとなると、考古学の問題も絡んできます。

そしてこの黄道十二星座は、さまざまプラスされて古代ギリシアに流れていきます。そして古代ギリシア人はこの星座と自分たちで作り出した星座を使って、神々の神話を考えたとされています。

ギリシア神話の詳しい内容は、長くなるのでまた後でお話したいと思います。

時は流れ紀元前3世紀ごろになります、詩人アラトスが自作の詩の中に44の星座を使っています。現在の星座は88星座ですので、この時はその半分だったと言うことになります。

星座の数も紀元2世紀ごろになると、星座研究も進み天文学者なども出てきます。アナタはこの名前を聞いたことがありますか?クラウディオス・プトレマイオスそれともトレミーの48星座の方が、分かりやすいかも知れません。

いきなり現在近くまでに飛んでしまいますが1970年ごろまで、このトレミー星座表は使われていました。

また星座歴史の中で、中国の存在も大きなものがあります。古き時代の中国でも、星と星を結んで星官(星座)と呼んでいました。もちろん西洋とは異なり独自のものだったようです。

ではどの様な構成だったのでしょうか。大型星座(数多くの星で構成された星座)や、小型星座(ごく少数の星で構成された星座)といったようにさまざまな構成ではなく、一つ二つと少ない構成だったとされています。

まだまだ星座の歴史は続きますが、一旦ここでひと休みしたいと思います。